岩手県医療ソーシャルワーカー協会の沿革

 日本に医療ソーシャルワークが導入されたのは、昭和4(1929)年東京聖路加病院に、リチャード・キャボット(アメリカ、マサチューセッツ州立病院の医学博士でアメリカの医療ソーシャルワークの創設者)の教えを受けた浅賀ふささんが仕事を始められた時とされています。


 第二次世界大戦後、GHQの指導で国立病院、日赤、済生会病院などを中心に医療ソーシャルワーカーの配置が徐々に進められました。岩手県では昭和23(1948)年に盛岡保健所に大信田タヨさんが、翌昭和24(1949)年に盛岡赤十字病院に赤澤美喜子さんが配属されました。その後、県立病院などに広がっていきました。


 昭和28(1953)年に医療ソーシャルワーカーの全国組織である日本医療社会事業協会(現在の公益社団法人日本医療社会福祉協会)が設立されました。その4年あまり後の昭和33(1958)年2月1日に岩手県医療社会事業協会が設立されました。当初の会員数は17名で、初代会長には赤澤美喜子さんが選出されました。


 以来、約60年近くにわたり、医療ソーシャルワークの発展や医療ソーシャルワーカーの資質向上などを目的に活動を行っています。会員数も増え、多くの方が社会福祉士又は精神保健福祉士といった国家資格を取得して業務を行っています。


 平成24年には会の名称を岩手県医療ソーシャルワーカー協会に改称しました。


 初代会長の赤澤美喜子さんは、リチャード・キャボットの言葉を引用し、医療ソーシャルワークの役割を次のように表現しています。

『「医薬を与えることは、重すぎる荷を引いて山を登る馬に薬を与えるようなものだ。必要なことは、荷車を離して馬を休ませることである。人間の場合にもこの荷物を軽くして助けてやる工夫がされなければならない。」…医療社会事業が、病人の背負っている重荷を解いておろしてやる役割をすることになりました。』


 我々は、諸先輩方の情熱を受け継ぎ、患者さんやその家族の方々のためにお役に立てるように歩み続けていきます。

 

 

文責:山舘幸雄